2009年11月09日

運がよくなる方法の授業 第7回

「行く川のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたるためしなし」

鴨長明「方丈記」の冒頭だ。

意味は、
川の流れは全体としてみた時は、永遠に変わらないように見える。
けれど、部分としてみた時は絶えず変化している。
淀みに浮かんでいる水の泡もできたり消えたりして、長くとどまっている例はない。

方丈記は、今から約800年前の鎌倉時代に書かれた随筆だ。
しかし、その冒頭には、今もなお、全く色褪せない普遍の意味が書かれている。

うちの近所に富士川がある。
たとえば、その川岸に立って、富士川を見てみる。
それから、1分間、目をつぶる。
1分後、目を開けて、もう1度見てみる。
もちろん、なにも変わらない富士川があるように見える。

でも、それは1分前の富士川とは、全く別物だ。
当たり前だが、水は絶えずして流れているからだ。

実は、人間もそのようなものだ。
それは、細胞単位で考えてみればわかる。

人間の体を構成する最小単位は細胞だ。
人間の体は様々な機能を持つ約60兆個の細胞から出来ている。
その大きさは平均すると約300分の1ミリ。
ものすごい小ささだ。

細胞も生命体なので、当然寿命(死滅)がある。
例えば、血液中の赤血球の寿命は約4ヶ月しかない。
一方、骨細胞などは10年以上もの寿命を持っている。
体のほとんどの部位では、常に新しい細胞が生まれ、古い細胞は消えていく。

人の体は、半年もすればほとんど入れ替わってしまうらしい。

たったの1分間経っただけでも、自分の体のどこかの細胞は死滅し、どこかの細胞が再生されている。

(手に間違って書いてしまった油性のマジックが、すぐに石鹸で洗っても落ちないのに、いつの間にか消えてなくなっているのは、そこの細胞が入れ替わっているからである。)

そう考えてみると、自分の体は、ひとつのチームともいえる。
チームの定員は、約60兆。
もちろん、レギュラー争いもある

すなわち、そのチームのメンバーの細胞たちによって、自分が生かされているということなのだ。

あまりに深く考えると自分自身のアイデンティティーがちょっと揺らいでしまう。

ずばり、今回の運がよくなる方法はこれだ!

「自分の60兆全ての細胞に感謝し、自分は君たちのおかげで生かされているんだよって声をかけること。
もしくは、思うこと。」


これをすると、細胞たちは、すごく喜ぶから、自分の体も健康でいられる。
そして、細胞たちは、現実にいい出来事を引き寄せてくれるのだ。

自分の意思に関係なく、勝手に細胞は分裂して増殖する。
まるで、細胞ひとつひとつが生きているようだ。
そう、60兆の細胞ひとつひとつを生命体ととらえ、接すると、細胞が自分の期待にこたえてくれるのだ。

もう一度繰り返すが、
自分が生きるということは、チーム戦なのだ。
監督は、自分の魂だ。
チームが一致団結したときには、とてつもないパワーを発揮する。
そう、だから自分の全ての細胞にいつも感謝しよう。
そして、期待しよう。

ここに、運がよくなる極意があるのだ。
posted by こうめい at 19:38| 静岡 曇り| Comment(1) | TrackBack(0) | 運がよくなる方法の授業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月08日

心が温かくなるものだけに

ホラー映画を見過ぎて、何をするときでも、お化けが出そうで怖いと、どっかの女の子が言っていた。

お化けが出そうって、今日日、小学生でも言わない。
ちょっと、頭の弱い人なのかなと内心思ってしまった。
(フォローではないが、愛嬌があって性格は大変よい女の子なのだ。)
でも、その彼女は真剣そのものなのだ。
よくよく話を聞くとその彼女の弟が、その類いのビデオをしょっちゅう借りてくるらしい。
それでついつい一緒に見てしまうとのことだ。
そんなら見なきゃいいのに・・と思ったが。
何度も、ついつい、ついつい見ちゃう、というものだから、さすがに返す言葉も無かった。

今、僕は、一切、その類いのビデオ並びに番組、本を見ない。(読まない)。

なぜなら、怖いからだ。

いや、正確にいうと、その2時間くらいの時間を費やして、それを見たところで、自分の気分を害するだけでなんの得にもないからだ。
同様な理由で、テレビのワイドショーもみない。


もしかしたら、若さ、あるいは時期もあるのかもしれない。

かくいう私も、中学のころ、赤川次郎、西村京太郎、アガサ・クリスティー、江戸川乱歩らにはまったことがある。

ホラーというわけではないが、一応、ミステリーの部類に入るので、だいたい、殺人などは起こる。

そのころは、はまって読んでいたが、正直、そんなに読後感がいいものではない。

殺しなんて、だいたい愛がないから起こることが多いのだ。
なので、最近は、めっきり、ミステリーも読まなくなった。

同様にホラーも見ない。

同じような理由で、今は、漫画のナニワ金融道や、カバチタレ、青木雄二の本も読まない。

実は、この漫画がモーニングで連載されていたころははまっていた。
単行本も全部そろえるほどにだ。

青木雄二の本もよく読んだ。

でも、やっぱり読後感が悪い。
なんか、ブルーな気分になるのだ。

もちろん、それらの知識は現実に法律の勉強にも大変なるし、ストーリーは、漫画の世界だしと、割り切ってしまえばいいのだが。

もしかしたら、親父が、僕がこどものころ、街金をやっていたからかもしれない。

なんか、そのころのことがトラウマになっている。

だから今、僕は、典型的な、ハッピーエンドが好きだ。
だって、それを見終わった後や、読み終わった後、自分が楽しい気持ちになれるほうがいいではないか。

だから、その作品自体を楽しむというより、自分の人生とリンクさせたときにどっちがいいかという視線で選んでしまう。

時を経れば、また、この気持ちが変わるかもしれないが・・

とにかく今は、限りある残りの人生、なるべく、読後感、鑑賞後感が、心が温かくなるものだけに触れていきたいと思う今日このごろである。
posted by こうめい at 18:17| 静岡 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月07日

約束

産経新聞が主催で、「プロミス(約束)エッセー大賞」という公募があり、楽しい約束、勇気づけられた約束など「約束」をテーマにした明るいエッセーを募集しています。

詳しくは
http://www.fujitv.co.jp/events/art/promise10/index.html

ちなみに大賞には、100万円分の商品券が贈られます。
興味がある方は、約束をテーマで載せてみてください。

というわけで、僕も今回のテーマは「約束」で

僕が、小学校4年のときです。

僕と一つ下の妹は、家から結構、離れた書道教室に通っていました。
書道教室までは、僕が自転車に乗って、妹はその隣を全力で走っていきます。

校則に、小学校4年生以上でないと公道で自転車を乗ってはいけないという規則があったので小学校3年の妹はまだ自転車に乗ってはいけなかったのです。

普段は、何一つ文句も言わずついてくるのですが、その日は、あまりに僕もスピードを出しすぎたのか
「お兄ちゃん、もうやだーお兄ちゃんばっか自転車で。ずるい」
と言い出しました。

僕は
「そんなこと言ったてしょうがないじゃんか。千代(妹の名)はまだ3年なんだから」

すると妹は泣き出しました。

僕はなんとかその場を取り繕うと、こんなことを言ってしまいました。

「今日、あとで『どこでもドア』をあげるから。そしたら、自転車より全然楽になるぞー。」

なんとも下手な取り繕い方です。
妹はもちろん
「うそだーうそだー。家の中になかったもん」
と言います。

僕は真剣な顔で
「いや、実は家の中に隠すとパパとママにばれちゃうし、テレビ局の人とかも来ちゃうから大変なことになっちゃうんだ。
だから、お兄ちゃんは、『どこでもドア』を新通り公園の、新幹線の下に隠しているんだ。
(注:新通り公園とは、富士市にある公園で、使えなくなった新幹線が展示されている。)
書道教室の帰りに、取りに行こう。約束だ!」

妹もようやく泣き止み
「約束だからねー」
と言いました。

そして、書道教室の帰りです。約束どおり二人で新通り公園に行くことになりました。

公園に着き、新幹線の所までくると、妹が
「どこどこ?どこにあるの?」

僕は、
「あの新幹線の下だよ。線路のところだ。下を覗いてみよう」
といいながら、新幹線の下を二人で覗くと、髪の毛もじゃもじゃで無精ひげたっぷり蓄えた汚いおじさんたちが、2,3人横になっていたのです。
(今、思うとホームレスの人たちだったのでしょう)

そのおじさんたちが
「おまえら、何のようだ。何しにきたー?」
って僕らに向かって怒鳴りました。

僕は妹に
「逃げろ。」
といって、再び僕は自転車に乗り、妹は走ってお家に帰りました。

お家に帰って僕は妹に
「『どこでもドア』あげる約束を守れなくて、ごめんな」
と素直に謝りました。

妹は、
「別にいいよ。だってもしも『どこでもドア』あったら、お兄ちゃんより私の方が早く着きすぎちゃうし」
といってくれました。

僕は心の中で、もしもあったら一緒に使わせろよと思いましたが、それは言いませんでした。

懐かしい少年時代の決してメインではない約束の話でした。
posted by こうめい at 17:59| 静岡 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | プライベート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月05日

115

「大統領のクリスマスツリー」という映画か、小説か、どちらかに
印象に残っているフレーズがある。

―――ここニューヨークは、上昇する気流と下降する気流が交じり合うところ―――

たしかに、勢いのあるもの、やがて、消え行くもの、いろいろ人たちが、ニューヨークという街では、交差している。


話は一気に飛んで、
先日、115にかけた。

115とは、電報を受け付けてくれるところだ。
友人に祝電を打つ用があったのだ。

その電報の交換手と話しているときに、上の台詞を思い出した。
まさに、115は、上昇する気流と下降する気流が交じり合うところだと思った。

なぜって?

今日日、電報をうつときなんて、結婚のお祝いか、不幸のお知らせのどちらかであろう。

長い人生で、まったくの対極であると考えられるのが、結婚式とお葬式だ。

そのどちらかの電報をその交換手は一日(おそらく8時間くらい)の間で、何本も受け付けるのだ。

電報の交換手も電話にでるまで、わからない。

次の瞬間に、電話の向こうから、幸せ一杯の言葉が発せられるのか、悲しみに打ちひしがれている言葉が発せられるのか。

しかも、どこで、どのような関係の人がそうなっているのかもだいたい
イメージできてしまう。

届け先の住所もいうし、届ける側の住所も言う。

電報のメッセージも口頭で伝える。

一つの人生の縮図を、一本の電報の中に、かいま見ることができるといっても過言ではないだろう。

小説や映画の題材にもなりそうだ。
鉄道員(ぽっぽや)のように、自分の娘の危篤の知らせさえも自分で電報をうつ、電報交換手の役は、
やはり、高倉健か・・
posted by こうめい at 19:12| 静岡 晴れ| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月04日

命のバトンリレー

富士のゆらぎの里のサウナの中で、元・相方の三宅が僕に向かってしみじみと

「よくここまで来たねぇ」

といったので思わず吹き出してしまった。

ここで言うところの
「よくここまで来た」
というのは、遠いところからよくきたというわけではない。

君のご先祖たちが何代にも渡り、命のバトンリレーをして、
君はよくいまここに存在できているねぇという意味である。
なんとも深い意味だ。

そもそも、なぜこんな話になったかというと、その場には同じく高校来の友人・鳥居ちゃんもいて、
3人で、熱いサウナの中で、病気談義になったのである。
(こんな話をする自体、30を過ぎたあらわれか・・)

まず鳥居ちゃんが、たんのうから胆石をとった話をしてくれた。
非常に興味深いはなしだった。

すでに、彼は、胆石どころか、たんのうを全部摘出しているという。
プラモデルでもあるまいし、そんなことして、体調は大丈夫かと
心配して聞いてみると、むしろ、とる前よりも良くなっていると。
規則正しい生活をしていれば、全く問題ないらしい。
そして、よくよく聞くと、自分の親や親戚なども、みんな胆石がたまる性質らしい。
DNAが似ていると内臓のかたちなどまで遺伝するからそうらしいのだ。
確かにそういう話は、よく聞く。

そして、自分も振り返ってみると、僕も、小腸を一部、切ってつなぎ合わせている。

中学3年のときに、腹膜炎になったのだ。

もとは、ただの虫垂炎(盲腸)だったが、町医者が気づかず、そこまでに至ってしまった。

そのときは、化膿しすぎて、いきなり爆発した盲腸を緊急手術し、小腸のまわりに飛び出た膿をきれいに洗い、腹を閉じた。

あと20分手術が遅れていたら、僕は、今、この世にいない。

それから、退院して、また1ヶ月くらいしたら、今度は腸閉塞という病気になった。

簡単に説明すると、腸の壁同士がひっついて、詰まってしまうのだ。
しょうがないので、もう一度開腹して、その部分の腸を切りとり、つなぎ合わせた。

あの時は、2回も大きな手術をした。
大変だったが、今はなんともない。

そして、不思議なのは、それと全く同じ病気で、親父も数回、手術している。
そして、僕の祖母も、同じ病気で手術している。
おそらく、その病気にかかりやすい体質のDNAを持っているのだろう。

そこまで僕が話をすると、三宅が、眉をひそめて、

「いっておくけど、鈴木ちゃん、
ちょっと前では、そう、ちょんまげの時代なんかは、盲腸は必死の病気だったんだよー
100%死んでいたんだよ。
だから、もしその時代だったら、鈴木ちゃんも、ここには、いないはず。
君の親父さんも
おばあさんもね・・」

鳥居ちゃんも、何回もうなずいている。

まあ僕も確かにそうだと思う。
三宅は続ける

「ってことは、君のもっと前の先祖たちも、みんな盲腸になっていたは
ずだよ。なのに、君は今、ここいる。」

そこで、三宅は僕をみて、しみじみと

「よくここまで来たねぇ」

話はここらで終わり、3人で長く入っていたサウナをでて、冷たい水風呂にざぶん。
ああ、気持ちよし。
なんと至福のときであろう。
これも、僕がここまで来たからなのだ。

30代くらい前からの先祖たち、そして、一緒にお風呂に入ってくれる三宅、鳥居の両氏に、僕はこころから感謝した。
posted by こうめい at 18:41| 静岡 晴れ| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月03日

運がよくなる方法の授業 第6回

前回の続きで、今回もテーマは「人間関係」です。

今回は、方法というよりは、むしろ、ちょっとスピリチュアルな考え方です。
 
まず、こんな例をだしましょう。

たまたま帰り道に初めてのコンビニに入った。
そこのバイトの店員が、ものすごくつっけんどんで
すごく感じが悪い人だった。

さあ、ここで皆さんはどう考えますか?

まあ、いろいろあるでしょうけど、
普通は、なんでこんな感じの悪い人間をここの店長は、雇うのかなとか、
なんなんだ、最近の若者は!
礼儀がなってないとか、
って思う方が多いと思います。

しかし、こういうふうに考えるのはどうでしょう!

そのバイトのコンビニの店員の態度によって、
自分の今の波動の調子がわかるって。

以前にも書きましたが、この人生は、自分の波動の周波数と同じものが
引き寄せられます。

ラジオに似てますね。
自分がどのチューニングに合わせるかによって、引き寄せる現実が変わります。
自分のフィーリングが、すごく穏やかで、リラックスしていて、なんでもうまくいくと思っていれば、そういう現実が。
自分のフィーリングが、憎しみや、怒りにあふれていたら、そういう現実が。

すべては自分が引き寄せているのです。

さっきのコンビニの店員の例え話にもどりますが、
その店員だって、もしかしたら、いつも感じ悪いわけではないかもしれない。
むしろ、いつもはすごく感じがいい人で、
たまたま、自分が会ったその日のその時間にメールで彼女に振られ、すごく落ち込んでいるときだったかもしれない。

なかなか常に感じよくいるってことは、誰でも難しいですよね。
でも、自分が、その人が機嫌のよいときに出会うっていうのは、
さっき言った自分の波動次第なんです。

だから、周りの人間がどういうふうな人が集まるか、
もしくは、自分と出会っているその時間は、その人たちが、どういう感情でいるかということは、自分が今、どういう波動でいるのかってことが分かるリトマス紙であるわけです。

人間関係をよくするには、第5回で述べたような具体的な方法以外に、
自分の心をコントロールすることによって、この外の現実変えるということもできます。

だから、逆にいうと、たまたま入ったコンビニの店員が、すごくニコニコ笑っていて、すごく感じのいい店員だった場合、自分の波動がすごくいいと判断することもできるわけです。

それは、コンビニの店員に限らず、家族や同僚や友達、もしくはお客様だって同じことが言えます。

例えば、僕の場合でいうとキャバクラを経営しているので、僕のお店の女の子やお客様は、僕の波動と同じレベルの方が引き寄せられるともいえます。

一言でいうと、自分の鏡であるわけです。

お蔭様で、今のところは、うちの女の子もほんとにいい子ばかり集まってくれていて、来て下さるお客様もすごくいい方ばかりで、大変、恵まれています。

このまま、自分の波動を保ち続けられたらなと思います。

自分の波動を高くする方法は、運がよくなる方法の授業 第1回で述べたように、やはり何事にも感謝するっていうのがポイントなんでしょう。

僕もこんなことを書いていながらも、まだまだ、仙人のように悟っているわけではないので、完全に出来ているわけではありません。

ちょっとでも、この運がよくなる授業で書いているようなことを、自分でもできればいいなと思います。

まだまだ修行の身でございます。
posted by こうめい at 17:11| 静岡 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 運がよくなる方法の授業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

運転免許証の写真

今日は、朝早くから、免許の更新に行ったんですよ。
もう静岡に住民票も移したので、場所は、沼津の免許センターというところ。
初めて行ったんですけど、
沼津インター降りてから、わかりにくい、わかりにくい。
間違って、伊豆に向かうフリーウェイに乗ってしまい、もう、万事休すかなと一瞬思いました。
が、急いで、次の長泉ICでUターンして、なんとかたどり着き、受付時間にぎりぎりセーフ!!

ちょうど今日、会社を有休とって、免許の本試験受けるっていううちの女の子も一緒だったから、ホントにほっとしました。

まあ、それはともかくね。
免許証の写真のことなんですけど、
あれ、なんで笑顔だとだめなの??

僕が、写真撮るとき、普通に条件反射で笑顔になったら、
そこの人に
「だめです、口閉じてください」
とか言われましてね。
しょうがないから、口を閉じて、普通に口角あげて
微笑んでいたら
「普通のときの顔にしてください」
って言うんだよ。

さすがに言い返しましたよ
「僕は、普段もいつもこの顔です」って

それでも、向こうが
「もっと普通にしてください」

僕は、無視してとりあえずそのままの顔でいたんです。

そしたら、さすがに、あきらめて、いつのまにか、写真を撮られてました。

↓こんな感じ

mennkyo.jpg

いいじゃんねー
べつに怒るわけでもないし、切れてるわけでもない。
ただ、ニコニコしてるだけなのにさ。

そういえば、前にデーモン小暮が話してたんだけど、
あのデーモン小暮閣下の顔だとやっぱりだめなんだって。
免許の写真では。

デーモン.jpg.jpg

でもね、
じゃあ、おばちゃんとかで、もとの素顔とぜんぜん違う方がいるじゃん。
あれは、許してるじゃんね。
なにその差は??

今度、ファン集めて数十人くらい一列にならんで、一番最初のひとは、ノーメイクで、そこから、2番目の人、3番目の人にいくにしたがってちょっとずつデーモン小暮のメイクにしてくのね。
グラデーションみたいにさ。
そして、最後に本物のデーモン小暮がいるっていう風にしてね。
そしたら、いったいどこでアウトって言われるか試してみたいって言ってましたよ。

まあまあ、なにはともあれ、無事に免許更新できてよかったです。
そして、うちの女の子も無事、一発合格できてよかった。
女の子に写真とるとき、僕みたいに笑っていけってアドバイスしたけど、ちょっと半笑いになって、逆に失敗したみたい。

まあ、どんまい、どんまい!
posted by こうめい at 02:37| 静岡 晴れ| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月31日

そのとき歴史は動いた

1960年代、ニューヨーク。
日本から渡った女性芸術家が、個展を開いた。

その中の作品にこんなものがあった。

ガラスの机の上に、1つの青りんごが置かれているだけという作品だ。

apple.jpg

周囲の人間の大部分はそれを見て笑ったそうだ。
机の上にりんごを置いてるだけで、どこが芸術作品なんだと。
しかし、その女性芸術家はそれが真の芸術だという。

なぜ?

展覧会が開催されている間にその青りんごは少しずつだが腐っていく。
だから、来訪者はどの瞬間に来ても二度と全く同じものは見れない。
作品が変化してるからだ。
だから、これは究極の真実を表しているのだ。
真実は芸術。
こんな隠されたメッセージがあったのだ。

なんとも不思議な感覚に襲われる作品だ。

ちなみにその『りんご』にすごく心を打たれたひとりのイギリス出身のアーティストがいた。

彼の名はジョン・レノン。
そう、その女性芸術家とは、オノ・ヨーコだったのだ。

その作品に魅かれて彼女と結婚したジョン・レノンは、よっぽど鮮烈だったのか。
後にビートルズが起こした会社の名前を「Apple」とした。


歴史に『IF』はないが、もしも、ジョンが暗殺されていなかったら、以下のようになったという説がある。

@TBS系「ふぞろいの林檎たち」に主演。
(脚本家・山田太一はかなり反対しただろうが、世界のジョンがやるといえば、TBSは首を縦にふるしかない。
柳沢慎吾のモノマネレパートリーは確実に増えているだろう。)

Aハイヒール・リンゴと漫才コンビ結成。
(モモコは、もちろん反対しただろうが、世界のジョンがやるといえば、吉本興業も首を縦にふるしかない。
ただジョンは、つっこみを嫌がるはず。みんなが平和になればいいってネタの途中に叫んでいただろう。)

B「笑っていいとも」に代わりフジテレビ系月〜金、
昼・帯番組『りんごでいいとも!』のMCを担当することに。

(タモリは、少しは反対しただろうが、世界のジョンがやるといえば、横澤さん(前:いいともP)も首を縦にふるしかない。サングラスはどちらも似合う。)

というわけで、「そのとき歴史は動いた」からのエピソードでした
posted by こうめい at 19:23| 静岡 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月30日

ニカラになりました

この間、久しぶりに男気のある日本の若者を見ました。

長崎ちゃんぽん(リンガーハット)にお昼を食べにいったときのことです。

僕のとなりのテーブル席で、ちゃんぽんを食べている若者がいました。

その若者がちゃんぽんを、もう3分の2以上食べ終わって、残りわずかになっているころに女性の店員がやってきて

店員 「お客様すいません。それってニカラになってないですよねー」

若者 (高倉健のように、だまってうなずく)

店員 「今からでもニカラにしますのでよろしいですか?」

若者 (高倉健のように、だまってうなずく)

店員 「では、今、ニカラお持ちします。」

僕は最初なんの話をしているのか、分からなかった。
なんだろう?
ニカラって。

勘のいい読者は、もう気づいてると思いますが、ニカラとは、2辛という辛さの単位で、ちゃんぽんをその分、辛くするという意味なのです。

その若者は、2辛のちゃんぽんをオーダーしていたのです。

しばらくすると店員が戻ってきて、2辛分のトウバンジャンみたいなのを小皿にのせて持ってきて

店員 「すいません。お待たせしました。これで2辛にしますね」
 (若者の残り少ないちゃんぽんにそれを入れて混ぜ始める)

若者 (高倉健のように、だまってみてる)

店員 「はい。2辛ちゃんぽんになりましたー。」

若者 (高倉健のように、だまってそれを食べ始める)

僕ものぞきこんで見たわけではないですが、その残り少ないスープは真っ赤でした。

5辛ぐらいになっていたと思います。

それでも、その若者は全てをたいらげ、会計をすませ、店を出るときは、丁寧にご馳走様でしたと言って帰りました。

まだこんな若者がいる日本なら、先は明るいです。
posted by こうめい at 19:36| 静岡 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月29日

昼夜逆転

どうしても、昼と夜が逆転してしまう今日このごろで。
寝る時間が、なんだかんだで早朝4時過ぎになってしまい、
起きる時間が、昼過ぎになることも多々あります。

その場合、だいたい、朝一回起きて、二度寝してしまうってパターンなんですけど。

やっぱり、朝のご来光とともに起き、日が沈み草木が眠るころに一緒に寝るってのが一番、体には良さそうなんですけどね。

商売柄、やむを得ないんでしょうけどね。

でも、おかげさまで、うちにも若いいいボーイさんが、二人も入ってくれて、僕自身の負担が大分、楽になりました。

その子らにも、TO DOリストを作って渡してね。

そのうちの一人、「ちゃっぴー(源氏名)」です
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いつも、がんばってくれてありがとねー、チャッピー、ヨッシー

あと、りかちゃん、魔女バージョン
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帽子とほうきは手作りです!

最後に、こうめい君
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今日もこれから、出勤でーす。
posted by こうめい at 19:16| 静岡 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする